輝く未来が君を待ってるから

Jとその他諸々が好きなDD予備軍によるぼやき。完全なる自己満ブログ。

一部の過激な大野くんファン(オンリー?アンリー?)とそれを取り巻く諸々に対して思うこと②

どうも。ゆうきです。

今回も過激フラグ立てておきます。

タイトルの意味が分からない方は知らぬが仏なので読まないでください。

 

 

①を読んでいない方はこちらのリンクから飛んでください。

 

jgasuki0227.hatenablog.com

 

さて、今回は「それを取り巻く諸々に対して思うこと」編です。

この記事でも「オンリー」「アンリー」という用語は上の記事で書いた定義に則って使います。また、自分で「アンリー」を名乗る人なんていませんから、「アンリー」と示したときは「アンリー(もとい、自称『オンリー』)」といった感じでとらえていただくといいと思います。

 

さて、「オンリー 智」「アンリー」といった感じでTwitterで検索すると、そういった「アンリー」に対する批判のような意見がたくさん出てきます。こういった発言をしている人の大半は「5人の嵐」が好きな人です。大野くんをメインで応援している人もいれば、他の4人のうちの誰かをメインで応援している人もいました。それでも多くの発言に共通して言えるのは「アンリーの言っていることは虚妄であり、また、いくら自分が褒められているからと言ってそんな発言をするファンを大野くん自身は求めていないだろう」という意思がうかがえることです。前回の記事を読んでいただければわかると思いますが、私はこちらの人間にあたりますので、私からすればこのような意見が「正論」のように思えます。しかし、一般論が何なのかはわからないし、この論を展開する上でそれが必要なのかもわからないので、あくまで”私にとっての「正論」”です。

 

さらに、このブログを始めて以降、はてなブログ好きに拍車がかかり、Jを中心として男性アイドル界隈(EBiDAN、JO1、LDH系統など)に関するはてなブログの記事を読みまくっているのですが、その中で今回の記事の様な過激な大野くんファンに対する記事もいくつも読みました。その中には私以上に冷静に分析して「こんな応援、おかしい」「こんな人たち、ファンとなんて呼べない」といったようなことを述べている記事もありました。さらには「そのような過激なファンを見てしまったことによって大野くんファン全体と関わること、大野くんを純粋に応援することすらできなくなってしまった」と嘆いている記事もありました。

 

幸いなことに、私はこんな記事を書いたりするほど「オンリー」「アンリー」の発言を自ら積極的に見ても「大野くんを純粋に応援できない」というような精神状況には陥らずに済んでいます。こんなズレたファンがいたところで大野くんは大野くんだし、嵐は嵐だし、彼らが私たちファンの前でアイドルをしてくれているという事実は何も変わらないと割り切って考えることができているからです。

過激なファンを目にすることで大好きだったはずの人たちを応援できなくなっている方は本当に不憫に思います。感受性が豊かで人を思いやる心をしっかりと持っているからこそなのでしょうか。そういった方が、純粋な思いで「嵐が、大野くんが好き」と言える日が来るといいなあと、一人の嵐ファンにすぎないながら、思っています。

 

また、私が「オンリー」「アンリー」に興味を持ったのは本当最近なので、他の方が書いている記事を見て知ったのですが、「アンリー」は一時期もっと増殖していて、今は比較的沈静化しているらしいです。それが特に多かったのが15周年あたりと昨年の活動休止発表の直後くらい?らしいのですが(詳しいことを知っているわけではないので違うのであれば教えてください)、最近はまだ減っている方みたいだそうです。

 

Twitterはてなブログでみつけた過激な大野くんファンに対する意見の中で特に共感できたものをいくつか挙げていきますと

 

「『アンリー』って過干渉な母親みたい」

子どもが望んでもいないことを子どもの意見にして、子どもに対して周りの人(友達や学校の先生)がとる行動の全てを子どもへの嫌がらせだと無駄な深読みをして、暴走したことを言い始める。ここでピンときた方はいると思うんですが「モンペ(モンスターペアレント)」そのものですよね。「モンペ」も「アンリー」に似た闇のジャニオタ用語の一つみたいなところありますが、ここでいろいろとつながってきます。

 

「大野くんに対する『歌やダンスが飛びぬけている』はあまり一般的というわけでもない」

これを書いていた方は「世間一般の大野くんのイメージって『ほんわかしている』くらいだと思う」(ニュアンスです。ご本人様いたらごめんなさい。)という風に表現していましたが。「アンリー」って「大野くんの歌とダンスが凄いことは皆知っていて、皆それを見たがっているのにメンバーや事務所がそれを抑えている」「大野くんの歌とダンスをもっと広めないといけないのに」という発言も多いなと思う。確かに国民的アイドルの嵐ですが、国民全員が個人に対する明確なイメージを持っているかというときっとそうではない。「キャスターの櫻井くん」「志村どうぶつ園の相葉くん」「眉毛の濃い松本くん」「演技派って言われてる二宮くん」くらい?そこまでもないかもしれない。その中に「歌とダンスがめちゃくちゃうまい大野くん」があるかっていうと多分ない。「バラエティでは少し眠そうな大野くん」「リーダーって言われてる大野くん」くらいならあるかな?音楽番組とかを集中して見ればファンじゃない人が「大野くんって歌も踊りも飛びぬけてうまいのね!」って思うかもしれないけど、ファンでもない人がそこまで真剣に見るとも思えないし悔しいことに「ジャニーズは口パクしかしない」って思っている人は多そうだし、ただただ流れてきた映像を眺めただけの人は「ステップが美しい」「ひとつひとつしなやか」なんて思うほど彼のダンスをまじまじとは見ていないと思う。

 

「『アンリー』同士で群れてる」

これに関してはどのオタクも群れてるみたいなところありますからあんまり人のこと言えないんですけど、「アンリー」のTweetって何故かただの個人の発言とは思えないくらいRTが多いんですよね。それもそのはず、ほとんど同じようなプロフィールの方がお互いにRTしあってるからあれだけ多いんですよね。うーん、何が普通なのかはわからないけど、あんまりTwitterをやっている中で個人のTweetをRTすることってそんなによくあることじゃないと思う。所謂「バズった」Tweetを便乗してRTしたり、有名人のTweetに共感してRTすることはあるし、たまには自分のFFの中で共感したTweetをRTすることはあるけど、RTっていいねと比べても若干躊躇うものがあると思う。でも「アンリー」は多分TLみてすぐRTするからどのアカウントを覗いてもほとんど同じ。あと、「アンリー」の大規模なアカウントって見たことない。多くてもFF300人くらい。「Twitter初心者です」「おばさんです」とか言っている人は大体2桁。ちゃんと見たわけじゃないから断言できることではないけど、多分ほとんどが同じ人をフォローしてる。もちろんその中にはわかりやすいまとまった意見を言ったり、(違法ですが)動画や画像をアップロードすることによってフォロイーよりフォロワーが圧倒的に多い人もいるけど、比較的「皆が皆に共感して頷きあっている集団」なのかなって感じ。大体ファンだったらその集団がいくつもありそうなもんだけど多分「オンリー」界隈は1つか2つしかない。

※追記:ここはちょっとさすがに知らな過ぎた、断言しすぎた感触があるので文字サイズを下げ、取り消し線を引き、色を薄めにしておきます。この記事を最初に書いてからもっと追ってみたところ、この表現よりは、(名前は出しませんが)こちらの界隈の有名な方がいて、その方に一挙手一投足あわせてるのかな~って印象を持った、という表現の方がふさわしいですかね。でも、RTしがちというのは間違っていないと思います。

(あと、大野くん専用アカウントなのに政治関連のTweetしてたりRTしてたりして「私は政治・社会情勢関連にも関心があって私は”正しい”大人だ!」って思っている人も少なくない感じ。←もっと肌感による偏見)

 

「皆同じ」

これは上と重なるところがあるし、普通のオタクにも言えることだけど、「アンリー」ってなんか全部のアカウント同じ人がやってても驚かないくらいにはみーんな足並み揃ってる。私が見つけた多くのアカウントのプロフィールに共通するのは

・青をモチーフにしたプロフィール画像

・歌とダンスに魅せられました

・非FC会員(FCは卒業しました)

・箱推しではありません

・G(グループの意)は好きではありません

・A(嵐の意)は好きではありません

・ゴコイチは嫌いです

・ソロアル、ソロコン熱望

ですかね。大体このうち2~3はどのアカウントにも入っていると思う。網羅してるみたいな人もいた。

 

「宇宙人みたい」

これが多くの「嵐ファン」が思う本音ですかね。もう仕方ない。言語が違うだけなら身振り手振りや表情で伝わるものはありますから「外国人」という表現では表しきれないんですよね。言葉が通じないどころか、我々とは意思疎通をまともにとることすらできないタイプの方々ですからね。多分「アンリー」にとっては我々「5人で嵐」派が宇宙人にあたるのでしょう。

 

基本的に私はスルースキルのない人間です。それはジャニオタとしてではなく、人としての根本的な性質だと思っています。「耳に勝手に入ってくる自分に向けられたわけではない誰かの発言」をいちいち拾って一喜一憂せずにはいられないタイプです。「不快なら見なけりゃいい、考えなけりゃいい」の一言に尽きるのかもしれないが、それができない人間です。

外野の言葉は̪シカト、、、できない人間です。

だからと言ってわざわざ「アンリー」の発言に噛みついてリプしたり引用RTしたりするような喧嘩を売りに行くようなことはしません。ただ、いつかの記事には書きましたが、このブログや連動させているTwitterに届くコメントにはひとつひとつ丁寧に自分なりに返していこうと思っています。

 

「オンリー」「アンリー」の存在を否定はしません。いろんな人がいるのが社会であり、自由に自分の言いたいことを言うのがSNSですから。ただ、万が一にもこの記事を読んだ「アンリー」(自称「オンリー」)がいるとするなら、

「一度冷静になって、貴方が大好きな大野くんが大切にしている4人や嵐を蔑む発言を知ったら大野くんが如何に傷つくかを考えてほしい。歌やダンスでは語り切れないタレント『嵐』の、そしてその『嵐』としての大野くんの魅力を感じたらファンとしてもっと楽しいことが増える。」

ということを伝えたい。多くの「アンリー」はきっと私より大野くんを見ているだろうし、「元々嵐ファンだったが、他の4人に対してはすっかり醒めた」というタイプの「アンリー」は私よりずっと嵐のことを見てきてるだろうから、「新参者が偉そうなことを言うな」と思うかもしれない。そうじゃない。アイドルとか関係なく、どんなものでも「好き」になったら人生は楽しいってこと。肯定的に見られるものが多いだけ喜びが増えるってこと。「5人の嵐」を好きになったら大野くんしか好きじゃない今と比べてファンとしての喜びは5倍、いや、それ以上になるはずってこと。

 

「アンリー」に否定的な感情を抱く私のような方に対しては、

「不快ならスルーすればいいのが一番。でもスルー出来ないから見ちゃうんですよね。その気持ち、すごいわかります。もしあなたが『アンリー』の影響を受けて大野くんを素直に応援できないでいるのなら、きっと貴方は本当に綺麗な心をお持ちなのでしょう。でも、どれだけ『アンリー』が過激なことを言っても私たちが大好きな嵐は嵐でいてくれるから。素敵な笑顔で幸せを届けてくれることは変わらないから、それを共に楽しもう。」

ということを伝えたい。そして「5人の嵐」を応援している同士として、応援していきたい。

 

そしてこれは本当に万が一どころか億が一にも兆が一にもないだろうけど、もし嵐本人がこの記事を読んでくれたとしたら、

「過激なファンの存在が貴方たちをいかに傷つけているか、ただのファンでしかない私には到底わかりません。色んな意見をぶつけられながら、20年間変わらず嵐でいてくれてありがとうございます。『ファンが喜ぶコンテンツ』を届けることよりなにより、『5人がやって楽しいこと』を届けてくれたらそれでいいです。それがファンの幸せです。これだけ幸せを届けてくれたから、これから先の5人の人間としての幸せを心より願っています。」

ということを伝えたい。関係者でも何でもない私が「人に見られることを生業として生きる以上、少なからず批判をぶつけられるものだ」なんて無責任なことを前記事で書いてしまったけれど、それでどんなに苦しんできたか、我々にはわからない。そんな一言で片づけられるものではないと思う。アイドルとして、俳優として、歌手として、タレントとして、そして、一人の人間として彼らがどんな苦しいことに向き合ってきたのかはわからない。どんなに苦しくてもジャニーズ入所から20年以上ずっとアイドルとしてやってきてくれたことに関しては本当に感謝しかない。こんなに素敵なアイドルを好きになって私はすごく幸せだと思う。だからこれからは5人が人間として誰よりも幸せになってほしい。

 

泣いても笑ってもあと250日。

その後の「嵐」がどうなるのか、ファンにはわからない。本人たちがどんな計画を立てているのかもわからない。

だからこそ、あと250日、少しでも多くの人が「5人の嵐」を応援できたらいいなと思う。

 

では。